なぜ、わが国では水洗トイレがなかなか普及しなかったのか。もうおわかりと思うが、日本は古代から汚水(糞尿)を農作物の肥料として使用してきた。いわば、汚物のリサイクルを実践していたのだ。そのため、便所の汲み取りは「お金がかかる」と思っている人は大間違いで、かつては、汚水は商品として扱われ、汲み取るほうから逆にお金をいただいていたのだ。こうした風習があったため、なかなか水に流して捨てるということができなかったのである。余談だが、津田良樹の『街道の民家史研究』(芙蓉壹房出版、一九九五年)に興味深い考察が記されている。一八六二(文久二)年に負債を抱えて夜逃げをした宇都宮の農民の家財道具をせりにしたときの記録の分析である。津田の考察は、当時の農民の所有していた家財道具を通して具体的な生活の様子を知ることができる貴重な分析であるが、その中で、目を引くのがせりでもっとも高価だったのが馬糞・敷き藁と人糞であったということである。それらは、肥料として価値があり、たらいや風呂桶、さらには石火鉢などの日用品以上に高い値が付いているのである。まさしく、肥料として人糞などをリサイクルしていた様子がわかるというものである。このような貴重な肥料としての汚水に、処理のためにお金を払うようになったのは、東京では一九一八(大正七)年以降であったという。そのこともあって、下水道の完備は戦前期にはほとんど実行に移されることはなかった。
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